2014年11月22日土曜日

接骨院併設リハビリデイサービス|消防打合せ


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設計・デザインをさせていただいいる接骨院併設リハビリデイサービスの申請関係の打合せに名古屋市消防局へ。
数ヶ月前に申請した接骨院併設リハビリデイサービスでは指摘されなかったのですが今後は申請用途に「デイサービス(宿泊施設なし)」との表記が必要になったとの事。
法規的にはグレーなお泊まりデイサービスの影響でしょうか?
宿泊の有り無しで消防設備が全く変わってきますのでこれから計画をされる方、将来の経営計画も含め慎重にお考え下さい。

今津デザインではご相談を随時受付中ですのでお気軽にご連絡を下さい。





今津デザイン一級建築士事務所

私達と一緒にオーナー様の夢や希望をかたちにし、接骨院・鍼灸院・リハビリデイサービス・歯科医院・店舗付き住宅を創りをしませんか!
オーナー様のご希望、ご予算などをお聞きし最適なプランをご提案させていただきます。

無料相談は随時受付中ですのでお気軽にご連絡下さい!

・住所:愛知県一宮市今伊勢町新神戸郷前15-6
・TEL:0586-44-1021/Fax:0586-45-2261

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2014年11月5日水曜日

【私は漁師でした】Success Story05

しわがれ声で話す純朴そのものの社長さんは元々は漁師さんでした。
「漁師は毎日がバクチみたいなものですから。毎日一人で海に出ているのもほんとに寂しいものですよ。」
そんな身の上話から夢の民宿創りが始まりました。
奥さんの話によると、
「成功させて絶対ベンツに乗るんだ!」
そう言って3000万円漁協からお金を借りて今の民宿を始め、社長は言ったとおり頑張りぬいて夢を実現してしまったそうです。

しかし時は流れ社長が創った3000万円の民宿も今はまわりをホテルや旅館にすっかり取り囲まれて海も見えない古びた民宿になってしまっていました。
それでも不思議な事に何時もお客様の笑い声が溢れているのです。
そして笑顔の中心にはいつも女将が、
「あんたらネーもうボケがきとるで乗るとこ間違えるといかんから船まで送ってくわ!」
「なに言ってるのボケがきてるのは女将のほうやで!」
 そんな女将とのやり取りをお客も楽しんでいるようです。
「また来るで来るまで元気で生きとってや~!」
 そんな事を言いながら常連らしいお客様が楽しそうに帰っていきます。
この宿の表舞台は誰でもっているかがわかった気がします。

この御夫婦の凄い所は、今の状態を予測してもっと大きな夢を持ち高台で海の見える一等地をちゃんと手に入れていたのです。
 “眺めは最高!!!”ただし平らな所はほんの少しであとは海に向かって急勾配の崖地です。
デザイナーは海を眺め崖地を登り降りししばらく考えこんでいました。
それからしばらくすると崖地の岩の上に基礎をつくり、屋上には眺めが最高の露天風呂付きの大浴場、全室オーシャンビューと言う夢のプランが出来上がりました。

しかし見積もりが出た後は夜も寝むれない日々が何日も続きました。
平地の倍ほど予算がかかるのです。
それでもデザイナーは諦めず粘り強く建築業者さんと話し合い大切な夢の部分は壊さないで何とか着工にこぎつけました。

盛大な竣工式でもち蒔きをするデザイナーはいろいろあった事を思い出し思わず涙ぐんでいました。
その後は「南知多話題の宿めぐり」などテレビにも取り上げられ板東英二や内山くんを相手にしての女将の相変わらずの話しぶりは大好評。
控えめに部屋の隅で笑っている元漁師の社長さんも本当に嬉そうに映っていました。
繁盛しているようです。

夫婦の持ち味を活かしあい、助け合う大切さと景気の良い時に次のステップへの備えをする大切さを教えられた仕事になりました。
豪華な旅館ではありませんが間違いなく人の温かみに触れる事の出来る宿です。
ぜひ1度お出かけ下さい。

2014年11月4日火曜日

【ありがとう“S”さん】Success Story04

「ああ、今津さん。明日のスケジュール空いてないですか?」
電話の奥から数年ぶりの懐かしい声が流れてきた。
Sさんからである。
どうしたことか?ある大病院の15号室でお会いしたいと言う事だった。

Sさんは高級ホテルの客室を思わせる豪華な病室で、満面の笑みをうかべ我々を迎えてくれた。
パジャマ姿で少しやつれた感じはするが元気そうである。
息子を紹介し軽い世間話の後、息子さんや娘さんを交え自宅のリフォームの打ち合わせにはいった。
相変わらず彼は高価な洋書のインテリア雑誌をひろげ、ああしたい、こうしたい、と夢を語りだし自宅での療養にも使えるプランを大至急創ってほしいという話だった。
その住宅というのはデザイナーが独立する決心を固めたー作目の大仕事だったのである。
オーディオルームに吹き抜けの大きなリビング、お茶会も出来る和室など地方都市には珍しい洋風の大豪邸だった。

名家の一人息子で育ったSさんは不思議なことに田舎大工の6男育ちで貧乏人のデザイナーと友達の様に付き合ってくれた。
やがて彼が社長になると次々と事業を拡大し、持ち味の人間味で人の輪もあっという間に広げていった。
デザイナーにも次々と仕事を依頼し、立派な本社屋までおも創ってしまった。

 若い頃のSさんはコップ一杯のビールでも真っ赤になり、クラシック音楽を聴く事が唯一の趣味であり、どうみても奥さん以外の女性は知らないという青年だった。
若いわりにネオン焼けし世間のドロドロを生きてきたデザイナーから見ると、俗世間をまったく知らないSさんがトップとしてやっていけるだろうかと思う様になっていた。
彼を誘えばご馳走になれる有り難さも手伝いちょくちょく名古屋の錦界隈を案内して廻った。
ところがどうだ、10年もすると錦を歩けば「社長、社長」と黄色い声は掛かるは、会員制のカードキイで店内に入るといろんな国の女性がいて店外デートもOKとゆう夢の世界までをも知る驚くべき成長をしてしまった。

この病気になった原因は今度の仕事によるストレスだと思う。
くやしそうに語った彼はまたまた大勝負を掛けていたようだ。

元気そうにみえたが、自宅をリフォームすることなく1ヶ月余りで電話の届かない世界へ行ってしまった。
亡くなる前日の夜までデザイナーを呼び夢の話をしていたのは、いっしょに酒を飲み、会社をどんどん大きくして行った元気な青年時代に戻りたかったのではないだろうか。
男の夢、錦の帝王にも間違いなくなった。
会社も大きくした。しかしそれがどうだと言うのだ・・・・・・・・・・・・。 
「55歳を過ぎたら会社をゆずりクラシック音楽が流れる小さな音楽喫茶をやるんだ!」
そう言っていたSさんの本当の夢のお手伝いが出来なかった事が残念でしかたがない。

2014年11月3日月曜日

【立地を読んだおやじさん】Success Story03

すごい田舎だなー。
澄みきった水が流れる川沿いを車が走る走る。

小さな小学校の前にお決まりのような古ぼけた駄菓子屋があった。
小さなショーケースが一つ。

中からいかにも人の良さそうなおやじさんが出てきた。
和菓子の職人だけど洋菓子も売る店を作るという。
ここは通行人もほとんど居ないしたまに車が駆け抜けて行くだけのこんな所で和洋菓子の店が成り立つだろうか?
しかもケースは10尺を2本入れるという。

それでもなんだかんだといいながらもどう見てもこの場所にはにつかわしくないオシャレな店が出来上がった。

おやじさんがガンバッテ商品でいっぱいにした10尺2本の威力はすごかった。
思いもよらぬ遠くからお客が来るは、来るは。

2.3年すると電話が鳴った。
「土地を買ったで見て。」
少しかっぷくの良くなったおやじさんが自慢げに指差した土地は、広い広い立派なものだ。
しかしそこもまた。家もまばらで歩く人もいない道路沿いの土地だった。
「今度は茶室と大きな鯉の泳ぐ池も作るでネー。」

鼻息も荒く。
吹き抜けの空間に。
10尺4本のケースを持つ菓子屋としてはびっくりするほど大きな店が完成した。
ケースの中はフランスで修行して来た息子が作るお菓子でまばゆいほどだ。
またまた、はやる、はやる。
何十個の注文にもあくる日に応えられる工場もつくり、その後こんな店を3軒もつくった。

どれもこれもおなじ様な立地だ。
広い大きな店。
楽に止められる駐車場。
おやじさんの店がでんと出来上がると。
周りにあっという間に店が増えていく。
職人のおやじさんはみかけによらずしっかり成功する戦略を立てていた。

2014年11月2日日曜日

【もう一度自分の店を】Success Story02

この物語はバブルがはじけるずっと前から始まります。

独立したてのI-デザインにレストランの話が舞い込みました。
オーナーのTさんは名古屋の一流所で修行しているまだ三十才そこそこのやる気まんまんの青年である。
I-デザイナーも鼻息荒く突進していった。
打ち合わせのたびに店はどんどん大きく立派になっていった。
さいわいTさんは大地主の息子。
土地は十分あるし農協はなんぼでもお金は貸してくれる。
かくしてそれはそれは立派なレストランが完成した。
業界誌もカメラマン付きで取材に来てくれた。
さすがにプロのカメラマン。
びっくりするほどきれいに撮れてました。

開店の日はお客の長蛇の列。
大成功だった・・・。

しかししかし残念なことに店は2年ちょっとでつぶれてしまった。

思えばその流れは最初から始まっていたのだ。
開店の日はデザイナーも自慢顔で席に着いていた。
しかしやがて店の雰囲気のただならぬ様子に気付きはじめた、隣の席の二人はもう食べ終わろうとしているのに1人はまだ水だけだ。
後ろの席には間違ったオーダーが届くし。
「まだですか!」
おばさんの金きり声がひびく。
120席の店内はもうムチャクチャだ。
混乱は開店からしばらくつづいた

・・・・・・・ この店がどうしてつぶれたのかもう頭のいい読者はおわかりだと思います。
Tさんは腕はいいけど厨房のなかの職人でした。
もっと悪いことにI-デザイナーはまだまだただの駆けだしのデザイナーだったのです・・・

それから月日が流れ、2年前突然Tさんから電話がかかってきました。
感激の再会だった、I-デザイナーは相変わらず貧乏だけど、Tさんも貧乏になっていた。
ただ2人とももう充分に成長した大人だ。
すぐに内装費350万円の店創りが始まった。
今のデザイナーにとって350万円は充分の内装費だ。
使い方は熟知している。
Tさんも自分の店の売り物は何か、大切な店のオペレーションも研究しつくしていた。

ほんの短い間に25席カウンターだけのささやかなカレー屋さんがオープンした。
手作りのチラシをTさん夫婦といっしょに配り歩くデザイナーの姿はほんとーに楽しそうだった。

しばらくして味のいい評判の店としてTVやミニコミ誌に取り上げられた。
繁盛しているようだ。Tさんは大成功者とはいえないかも知れない。
しかし、もう一度自分の店を。
夢は間違いなくかなえた。

2014年11月1日土曜日

【戦い続けた男】Success Story01

「オーイ、先生。ホテル直したい人がいるでー。」
ラブホの社長から電話が掛かった。

待つ事20分、ガタガタの軽トラックに乗ったおっさんがあらわれた。
戸惑いながら名刺を差し出すデザイナーに
「わしは名刺はもっとらんでナー。」

Iデザイナーは頼まれたラブホの改装工事を手馴れた感じで完成させた。
これがその後20年にもなるお付き合いの始まりだった。

しばらくするとおっさんがビジネスホテルを作ると言ってきた。
このおっさんは駅裏でまかない付きのきちん宿もやっていて、それを売ったお金で作るという。
地方ではまだまだほとんどビジネスホテルは見かけない時代だった。

それでも見様見真似で20室3階建てのビジネスホテルが完成した。
ここからがこのおっさんの大勝負の始まりだった。

しばらくすると今度は60室の本格的なビジネスホテルをつくるという。
Iデザイナーにとっては嬉しい大仕事だ。
丹下健三か黒川記章になった勢いで燃えに燃えプランを考えプレゼンテーションをした。
プランは円筒状の建物で、2階のレストランは道路にせり出すように曲面を描いたものだった。
ただそれを見たおっさんは
「うーん。」
と言ったきり言葉も出ない。
奥さんもまるで”は虫類”を見る目付きだ。

しかし2、3日すると
「目立っていいじゃない。進めといて。」
と簡単な電話が入った。

ただ、設計が終わってもなかなか着工できなかった。
さすがに今回は迷いに迷っているらしい。
何億もの投資になるしこんな田舎で60室のビジネスホテルが成り立つかどうか迷うのは当然の事である。
それでもその年の暮れついに着工し、ラスタータイルに光り輝く7階建て60室のホテルがドウドウと完成した。

しかし、市長までもが駆け付けた華やかなオープンセレモニーとは裏腹に客足はさっぱりだった。
宿泊客が15~20人の日が1ヶ月、2ヶ月と続く。
半年を過ぎるとさすがにおっさんももう駄目だと思ったという。
しかし嬉しい事にそのころからリピータ-が増え始め、お客がお客を呼びみるみり満室の日が普通になっていった。

しかし本当の戦いはこれからだった。
目と鼻の先に大きなシティーホテルがオープン。
そしてもっと恐い大物もやってきた。
全国チェーンのGホテルである。
もうメチャクチャな過当競争だ。
その上今やバブルもはじけ客数も減っている。

しかし70歳になろうとするおっさんがまたまた勝負に出た。
あのラブホも住宅用地も売り払い、街一番のビジネスホテルを作るという。
今やおっさんはホテル経営のプロ。
Iデザイナーもその後設計のチャンスに恵まれていて、ビジネスホテルのノウハウを知り尽くしていた。

やがて最後の大勝負を掛けたホテルが完成した。
広い駐車場、温泉付きの大浴場、駅に一番近い。
もうおっさんのホテルだけが独り勝ちである。

ただ完成までにはTVドラマ以上のドラマが待っていた。
工事にかかろうという時に、あの奥さんが入院してしまった。
ガンである。
手遅れでもう3ヶ月ももたないという。

さすがのおっさんも落胆しホテルは中止だと言い出した。
暗い日々が続いた・・・。

しばらくしておっさんから工事を始めるという電話がかかってきた。
奥さんが完成したホテルを見たいと言ったそうだ。
設計変更をし、奥さんの為の日当たりの良い和室とガーデニングの出来る広いベランダを追加し工事は急ピッチで進んだ。
おっさんは必死でガンと戦った。
アガリスクから漢方薬。
そして動けない奥さんを背負い東京の病院までも出かけた。
出来る事はすべてやった。

そして工事は完成した。

しかし完成した日当りの良い和室やベランダに奥さんの姿は無く、変わりに写真が置かれている。
それでもおやじさんは日々満足顔である。

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